今週のご挨拶

【諦めから続く道】  5月20日

真夏みたいな日が続いたかと思えば、ここ数日は肌寒い日が多いです。寒暖の差が激しいと体調を崩しやすくなりますが、気持ちの方にも影響を与えるようです。ぼんやりしてしまったり、やる気がでなかったりと。無理せずぼちぼちとやっていきたいものです。

さて、お釈迦様の教えに「四諦」(したい)というものがあります。 これは「苦諦・集諦・滅諦・道諦」の4つの真理のことをまとめて四諦と言います。 それぞれの意味としては

苦諦…一切は苦である。
集諦…苦には原因がある
滅諦…その苦は滅することが出来る
道諦…苦を滅するための道がある
というものです。 一切は苦である、なんてちょっとネガティブすぎにも感じますよね。


4つの諦だから四諦というわけですが、この「諦」という字は「真理」とか「悟り」という意味です。そして「明らか」という意味でもあります。物事をあきらかに見ることが悟りなのだということです。
そして「諦」は「あきらめ」とも読めます。「あきらめ」と「悟り」だと何だかかけ離れた言葉に見えますね。
でもよく考えてみると、「あきらめ」と「悟り」は繋がっているように思えます。

皆さんは例えば、英会話を始めてみようとか、筋トレを続けよう、と始めてみたけれど、どうにも続かずに挫折したことはありませんか?私はこういうこと何度もあります。思い立って始めてみたのはいいけれど、最初のころの張り切りが持続せず、毎日続けるつもりが1日休み、2日休み…ついには全くやらなくなってしまう。
「ああ、やらなければいけないなあ」と義務みたいになってしまうのも苦しいですし、「自分には継続力や集中力がないんだろうか。」と自分を責めることも苦しいです。確かに一切は苦かもしれない、と思ってしまいます。

しかしよく考えたらこれは前提が間違っていたのですね。 どういう前提かというと、「自分には継続力や集中力が人並みかそれ以上はある。」という前提です。はっきり言ってしまうと自分にはそういった力はないようです。
けれども今までどうにかこうにかやっていけているのは、そういう力がないなりに、物事をやっていかなければいけない状況にあったからだと思います。

例えば、英会話にしろ筋トレにしろ、一日の中で好きな時間にすると思うと逆になかなか出来なかったりします。なぜかというと、そういう場合いざやろうと思うと「よっこらしょ。」と気持ちを固めてやり始めなければならないので、意思を強くもたないといけないからです。そういうのは疲れますよね。
けれどお風呂に入る15分前に筋トレをするとか、通勤時間に英会話のテープを聞くなど別の習慣とくっつけて行うことでうまいこと習慣化できるようになったりします。

あるいは、知識を得ようとか勉強しようと思ってたくさんの本を買って、「さあ、これでいつでも知識を得られるぞ。」と思って机の上に積まれた本が、結局そのまま放置されているということもあります。これも買ったことで安心してしまって次に進めないんですね。
しかし、図書館から借りてきた本は、返却期限があるので早めに読もう、という気になってすぐに読めたりします。
またこの文章も「毎週日曜日に更新する」という一応の締め切りがあるので書けますが、これが好きな時に更新すればいい、となると、おそらくこんな定期的に更新はしなくなると思います。

こんな風に制約や期限、締め切りなどをうまく利用すると、人はいろんなことが出来るのだと思います。けれども、「自分には継続力や集中力がある。」と思い込んだまま物事を進めるとなかなかうまくいきません。
だからまずは「自分はそういうものがない」と諦めて、そこから何かを始めることが大事なのではないでしょうか。

諦めるということは自分を明らかに見れること、だということでしょう。 諦めてもそこから道はある。一切は苦でも、それを滅する道もある。 仏教は一見ネガティブに見えますが、実はとても希望に満ちた教えなのだと思います。

今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

合掌

5月の行事予定

5月1日(火)    朔日祭 »
5月18日(金)  先祖供養の日
5月24日(木)  水子供養の日

行事予定
ご祈祷

ご 祈 祷

ご供養

ご 供 養

年中行事

年中行事

お祈り守り

お祈り守り

ぼけ封じ

ぼけ封じ

葬儀・墓地

葬儀・墓地

ご祈祷

ご 祈 祷

ご供養

ご 供 養

年中行事

年中行事

お祈り守り

お祈り守り

ぼけ封じ

ぼけ封じ

葬儀・墓地

葬儀・墓地

金毘羅院について
団体参拝
その他の活動
出張のご案内
...
トップへ戻る