今週のごあいさつ
降誕会の法要を営みました
梅雨らしい天気が続きます。
今日6月15日は真言宗を開いた弘法大師空海様のご生誕をお祝いする、降誕会という法要を営みました。今年は日曜日に当たっていたこともあり、お参りしてくださる方も多く、皆様とご一緒におつとめをすることができました。
近年は内々だけで営むことが多かった降誕会ですが、こうしてお参りがあるとちょっと緊張してしまいました。
それでも皆さんとおつとめをして、お大師様にまつわる法話をしたところ、「今まで知らなかったことを知れてよかった」といってもらい、ありがたかったです。
真言宗の僧侶として、お大師様については一通り学ぶ機会も多かったので、自分の中ではお大師様が歩まれた道というのは、わりと「当たり前の事実」として、普段の法話では話をすることもなかったのですが、こうして降誕会の機会などで改めて話をしてみると、「そうか、確かに一般の人にはお大師様の話は当たり前じゃないよな」と気が付きました。
またこういうお話は、機会を見つけてしてみたいと思います。
今回降誕会で話した法話の最後に、お大師様の遺されたお言葉について話をしました。
それは、「それ仏法遥かにあらず。心中にして即ち近し」というお言葉です。
仏様の教え、あるいは悟りといったものは、普段の生活をしていると自分とは関係ないように感じますし、もし興味があり、それに近づきたいと思っても、自分からは遠く離れた手の届かないもののように思います。
けれどお大師様が言うのは、それは遠くのものではなく、自分の心にあるもので、とても身近なものなのだと。
仏教では欠けのない満月を悟りの象徴として見ます。暗い夜空に煌々と光る月のような悟りの心。これが本来は私たちみんなの心に備わっているのだと言います。
しかし、世間で暮らしているうちに、貪りや怒り、愚かさといった心の汚れが溜まっていき、満月にかかる厚い雲のように悟りの心を隠してしまいます。
隠れているとあるのかないのかわからない。ないと思ってしまえば仏法を遥か遠くにあるように錯覚してしまいます。
けれど満月が、たとえ雲にかくれようとも必ずそこにあるように、私たちの心にも悟りの心がちゃんとあるのです。
だから、煩悩の雲が少しでも晴れるよう、日々精進することが大切になります。
そういった教えがこの「それ仏法遥かにあらず。心中にして即ち近し」という短い言葉にこめられています。
どうか、この降誕会の機会に、お大師様の言葉を心に刻んで、日々の暮らしに役立てていただければと思います。
今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。 合掌